ご挨拶
MTBI仲間の会の代表をさせて頂いております、土屋 久美子(旧姓:藤本 久美子)でございます。 このページをご覧いただき誠に有難うございます。
私自身も平成20年3月16日に交通事故により、MTBIからの障がい者となってしまいました。症状としては、四肢が麻痺し温冷痛覚がないの状態で、頭部だけが痛みを増し、大後頭神経と言うところにペースメーカーの様な機械を接続し体内に埋め込み、常に5ボルトという電流を流し続け、痛みを麻痺させている状況です。
ここまでしても、日本の基準では四肢に軽度の麻痺が残る程度と判断され、90万円程の保障しかもらえない上、この先9年ごとに電池の入れ替え手術で電池を取り換えなければなりません。非常に苦痛であります。
しかし、見た目には健常者に見えますが、機械で痛みを麻痺させているだけですので、障害者手帳2級と高次脳機能障害で精神障害者手帳1級を持っています。
重要なのはMTBIがどういう風に和訳されるかではありません。事故によって失った能力を、どういった形であれ、保障してもらうことなのです。
日本では手続上、どうしても正式な疾病名が必要になります。そのためには広く啓発し、疾病を知ってもらい、患者やその家族が一致団結して国に訴える他はないのです。悲しいかなこれが現実なのです。
当時の状況
当時、結婚式場のオペレーションマネージャーという立場で会社員をしており、公私ともに充実した生活をしておりましが、平成20年3月16日に悪夢の出来事、交通事故が起こるのです。
原因は上司の無謀運転による単独事故で、それにより体に物凄い衝撃を受けたのですが、救急車・警察への報告は一切無く、そのまま職務を続ける様に指示されるのです。また、会社も事故車両が個人所有の車両であった為、事故の隠蔽を図ろうとしていました。
しかし、労災を認定させるため、後に警察による現場検証が行われるのですが、事故現場は埋立地であり住所不特定なので、憶測でしか現場検証しか出来ない状態でした。
そして事故後、痛みが引くこともなく、20年4月17日OPENの新規店舗の総責任者だった為、痛みを鎮痛剤で抑えながら残業も多く、ほぼ休みなしで職務についておりました。そして5月中旬、眩暈が起こり救急搬送、その後も何度も倒れ、その後休職となりました。休職中は労災保険を適用してもらいましたが、結果、4年半休職するも回復せず退職に追い込まれ、8年たった今でも訴訟中となっております。
そして、様々な病院に通うも医療でのMRI CTの画像所見はなしと判断され、非常に精神的にも不安定な状態に陥ることとなるのです。しかし粘り強く病院を探し続け、ようやく特殊な画像でびまん性軸損傷、頭部外傷後高次脳機能障害と認められました。このことにより現在では身体障がい者(等級2級)、精神障がい者(等級1級)となっております。
また、当時の会社には事故自体を闇雲にされた為、平成21年に元上司の運転手に対し、刑事告訴・運転者起訴・民事訴訟をしております。
裁判について
民事訴訟では、相手には障害の有無など、現在がどういう状態なのか伝わることはありません。被害者とはこの様な状態なのです。ですから、裁判に勝つことは、なかなか難しい事となるのです。
何故なのか?
それは、画像がない、事故直後の意識消失が確認出来ない、軽度外傷性脳損傷(MTBI)を知らない医師が患者の訴えを無視しノイローゼと決め打ちする等その理由は様々ですが、根本的な原因は、裁判所が司法の独立を忘れ、国際基準から遥かに遊離した自賠責保険(国土交通省)の頭部外傷の基準とその認定を是として追随してしまっていることです。これでは、被害者が、いくら国際基準に基づいた脳外傷の証拠を裁判所に提出しても、自賠責保険の基準に達していないとして、裁判所から脳外傷が否定されてしまい、被害者を路頭に迷わす結果になります。
政治の力で、自賠責保険の頭部外傷の基準を国際基準に合致するように改訂することを働きかける、これが被害者救済の近道だと思っています。
現在の裁判の争点
- 事故直後の意識状態
意識が無い、朦朧としているなど、救急救命隊員での救命搬送記録が必要
- MRI,CT画像に写っていること
軽度外傷性脳損傷(MTBI)ではミリ単位ではなくミクロ単位であるので通常写らない
この基準に達していることが争点となります。それを国際基準=意識消失や画像に関係なく事故直後から、数日、数週間、数カ月後に発症した症状も含まれることへの以降へと尽力をつくしています。いつか必ず、国際基準に合致させるまでこの取組は続けますし、様々な角度から攻め続けたいと思います。
悲惨な状態で暮らしている被験者も、もっともっといらっしゃいます。どうか、手を差し伸べてください。お願い致します。
現在の状況
家族は平成28年5月から離散し主人と高校二年生の息子、私と大学一年生との娘と別居しております。原因は「MTBI」を理解してくれない主人の態度であったと思います。見えない障害の為、理解されにくいのです。
それでも、生活するには働かなくてはいけない。障害を隠して働いていました。周りの人には、少し変わった人??そこは笑顔満載で乗り切りました。様々な過程を繰り広げました。
そして平成31年1月3日、私は1000錠の薬を飲み自殺未遂??? その時は和やかでした。隣の部屋で、娘はDVDを見ていました。私はお正月の仕事、翌日も仕事でした。でも、突如現れたのは死意でした。食べ物のように薬をつまみ、飲み込む。突然の死意でした。
その後3ヶ月入院。しかも声を失いました。人工呼吸器の管が声帯に傷を作り、悪化し話せなくなりました。でも手術を受け、回復しました。
その直後離婚成立。
新しい生活(^o^)しばらくして新しい旦那さんと出会い入籍、今は土屋 久美子です。今の旦那さんは、障害に理解があるのではなく、私のつらい状態、痛み、苦しみに寄り添ってくれます。障害者だからこうだとかではなく、個性と感じてくれます。凄く仲良しです。
本来、夢であった40歳で自分自身の飲食店を作ることを18歳から計画しておりましたが、この事故により断念せざるを得ない事となりました。本当に悔しくて残念でなりません。でも、変えることは出来ます。自分の目標やこうしたい、ああしたい、どうなりたい。その全てにおいて、変えることが出来ます。変えるには勇気が必要ですが、変えることによって、新しい自分の道が開けます。
チャンスやチェンジは可能です。大きな空を見てください。見上げても良い、ゴロンと寝転んでも良い。そこにある雲は常に変化し様々な形に見えてきます。私達も様々な治療、投薬、リハビリ、もちろん春秋の会の参加。どのような形でも変われます。
私は令和1年10月~12月で古い電極の電池交換。そして新たに頚椎に電極を埋め込み、肩、首、背中の痛みを軽減する治療をしました。
現在の活動
団体を2012年1月1日に立ち上げ、会員数120組程の被害者とのコンタクトをネットや電話やラインで取りながら、正しい診断や、病院の受け入れ態勢のある病院や事故専門に行っている弁護士、社労士の橋渡しとして受ける道へと紹介しています。
治療や投薬は日進月歩です。どうか常に諦めないでください!!常に追い求めてください!!そしてご相談ください!!
また、春と秋には祭典という題目で、屋外バーベキューやケータリングサービスなどを利用した親睦会などを開催しております。一般健常者の方でもご参加頂けますので、関心のある方々は是非ご参加頂ければ幸いでございます。詳細につきましては「フォームメール」からコンタクトを取っていただければご説明を致します。よろしくお願い致します。
MTBI仲間の会代表:土屋 久美子